映画「3月のライオン 後編」を観たらもやっとしたので感想を語ってみる

©ぱくたそ

3月のライオン」の映画の前編を観て、すばらしかったので、さっそく後編も観に行きました。

そこで感じたことをつらつらと書いていきます。

ネタバレしていますので、これから観に行くかたはご注意ください。

なお、全体としては、かなりもやっとしました。

前編を観た直後の「これは後編ではハンカチが要るよね」という期待が裏切られました。

原作の再現度や緊迫感などなどは、すばらしかったです……。

3月のライオン映画 後編 のあらすじ

前編のあらすじと感想はこちら。

映画「3月のライオン 前編」を観てきた感想をつらつらと語ってみる

2017.06.02

前回、零が新人戦に優勝したところで終了。

後編では、その後、1年間の時間が経ったところからスタートです。

「もう1年になる? 桐山君が初めてこの家に来てから」とあかりに言われ、「お世話になってます」と頭を下げる。今では川本家の家族の一員のように、3姉妹と自然に食卓を囲んでいる。

今年も獅子王戦トーナメントの季節が始まるが、零の周りの棋士たちに様々な試練が降りかかる。まずは幸田が、頭のケガで緊急入院して不戦敗となる。引きこもってゲームばかりしている歩を叱ったら、反対に突き飛ばされてしまったのだ。香子も派遣もバイトも続かず、後藤への想いを持て余し、幸田家は崩壊へと向かっていた。

一方、後藤は入院中の妻の容体に心を痛め、実は難病を抱えている二海堂はそれでも闘いたいと願っていた。初タイトルを目指す島田は故郷の山形の人々の期待に押し潰されそうになり、将棋の神の子と恐れられる宗谷でさえも、ある重大な秘密を抱えていた。

そんな中、川本家にも次々と事件が襲いかかる。ひなたのクラスでいじめが始まり、さらに3姉妹を捨てた父親が現れ、耳を疑う要求を押しつけたのだ。

大切な人たちを守るため強くなるしかない。新たな決意のもとトーナメントに挑む

愛することを知ったの闘いの行方は──?

映画公式サイトより抜粋)

3月のライオン映画 後編 の感想

キャストや舞台については、すでに前半の感想で書いたので、省きます。

後編は、原作の5巻から11巻にあたる部分です。(うろ覚えなので、多分です)

後藤さんの妻が亡くなるシーン

原作にはなかったかな? 多少、間違っていたらすみません。

将棋会館を出たところで、「後藤さんの妻が対局時間中に亡くなった」ということを知る、零と先輩たち。

妻の死に目にあうことよりも対局を優先したのか、と驚きます。

そこに将棋の会長(だったっけ?)が現れて、「甘いな」とひとこと。

実は、後藤さんは、対局中に妻の容態の急変を知らされました。立たずに対局を優先するかと思いきや、起立。そしてダッシュ。タクシーを停めて、病院へと急ぎます。亡くなる妻。誰も見ていないところで泣き崩れる後藤さん。

そして対局場へ再度、戻ります。病院が案外近いですね。

何事もなかったかのように装い、鋼の精神力で勝利します

愛する者よりも勝負を優先する――というストーリーは、つきなみですがよく目にします。でも、どちらかを選択せず、両方とるというのは、斬新な展開です。

棋士というのは勝負に命をかけています。その日のコンディションを万全にするのも仕事のうち。後藤さんの相手もその仕事をこなして万全の状態で挑んできていたはず……。

対局時間が何時間かはわかりませんが、時間の有無は勝敗を左右する大切なファクターです。それを大幅にロスし、精神的にも、一度、対局から完全に集中力を切らし、それでも勝利する。

突発的なハプニングに対しても、冷静に対処する後藤さん。計画的に行動して、対局にも勝利する後藤さん。「このくらいで泣くのを切り上げよう」と計算していたようにすら見えます。

後藤さんすげぇな! となるところかもしれませんが、私にはもともと後藤さんと相手の間に実力の差がけっこうあったように見えました。そうでなくては説明がつかないような気がします。

後藤さん強いよ! エピソードとしてはありかもしれませんが、なんだかこのシーンから何が言いたいのかわからず、ちょっともやっとしました。

零の成長と、川本家に返したもの

前編で零は、「将棋しかねぇんだよー!」と叫びました。

将棋しかなかった零ですが、川本三姉妹と出会ってから、どんどん変わっていきます。明るくなり、癒されていき、力をもらっていきます。両親と妹が亡くなってから、はじめてできた「家族」であり「居場所」です。

そんな零ですが、原作では、川本家に対して何かを返したいと考えて、力を尽くします。

  • いじめられてつらい思いをしているひなたの前に現れる
  • 川本家の父親が来襲した際に、冷静に反論して追い返す

この2シーンは、見せ場であり、零の成長がうかがえるシーンです。

それが映画では、なくなっていました。

修学旅行先でひとりぼっちのひなたの前に零君がさっそうと現れる、少女漫画的には胸キュンな場面がカットカットカット。

川本家の父親が来襲した際に、冷静に反論して追い返すシーンは、改変されました。

  1. 川本家のひどい父親に、ひどい言葉を投げつける零
  2. 三姉妹を傷つけ、もう帰って、と拒絶される零
  3. 対局中に覚醒し、涙を流す零
  4. 零「力になりたいと思ったけど、ずっと力をもらっていたのは僕の方でした」
  5. 傷つけてごめんなさい、と三姉妹に謝る零

……? 書き出してみて、ストーリーラインがよくわかりませんでした。

原作だとこうです。

  1. 川本家のひどい父親が現れる
  2. 力になろうと、対策を練る零
  3. これまで生きるための命綱だった将棋で身に着けた強さで冷静に論破する零
  4. 川本家からは踏み込んできてくれたことを感謝される

神木君の演技はすばらしかったです。でも演技の方向が間違っている気がしました。

早い話が、盤の外での零の成長を見せる行動がすべてカットされていました。

かっこいいシーン、川本家に何かを返すシーンが削除。これは非常に残念です。

将棋会館で一筋縄ではいかぬ大人たちと戦ってきた成果を活かして、ひるまない零の姿を見たかったのです。

「僕は家庭を壊すあなたのようなクズじゃない!」と叫ぶ零が見たかったわけではないのです。しかもそこのセリフ、完全に図星をつかれて激昂しているように見えてしまいます。

後述のように、映画では零は幸田家を壊しているようなので……同族嫌悪しているように感じられます。それは非常にまずいのではないでしょうか。

荒れる香子と、それを諭す幸田父

最大にもやっとしたのが、幸田家、そして幸田家と零の関わりの描かれ方です。

過去のシーンで、子ども時代の香子と零が対局します。盤上で追い詰められた香子が、キレて零につかみかかります。そこを幸田父が「敗けて相手を殴るなんて最低だぞ」と制止します。

さらにその後、幸田父は「零に勝てないのなら、このさき頑張っても仕方がない」という言い方で、香子と歩に将棋人生の引導を渡します。

もっと他に言い方があったはずです。わざわざ「零と比較して劣るから」という言い方をするのは、不満の火種をまいているようにさえみえます。

対局相手に暴力をふるったことが原因で棋士の道を諦めさせるという方が、まだわかります。

現在のシーンで、荒れる香子の前に、零を殴ったときの盤面を並べる幸田父。

そして、香子には勝つ道があったのだと示します。

香子が、棋士という夢を手放すことになったのは、誰のせいでもない。香子が自分を信じられなかったから。信じて読み切れば、活路はあった。それを手放したのは、香子だ。

涙を流す香子。

幸田父は言います。

将棋はなにも奪わない

これから先の未来にも、香子に活路はきっとある。だから、それを「応援している」と。

…………いやいやいや。

ちゃんちゃらおかしいです。

香子が将棋に「奪われた」と感じているのは、父親の関心――ひいては父親の愛なのだと思います。

それを、零に横取りされた。

父親が父親なりに香子を愛しているといっても、それは気休めにしかなりません。愛というのは、どうしても比べてしまうものです。

下の子どもが産まれたときに、上の子どもが受けるショックは、「新婚ほやほやで幸せに暮らしていたら、結婚相手が浮気相手を連れてきて一緒に住み始めた」ときと同じくらいだといいます。

ましてや、零は両親の子でもない、他から来た子。香子や歩のショックは大きかったでしょう。

父親の最大の関心事は、将棋。

将棋の道を志す者には、志す者にしか共有できない世界があります。香子と歩は、その世界を共有するため、ひいては父親の関心をひくために努力した。

けれど、人間、もともと自分が手にしていたものを失わない、奪われないための努力というのは、できないものです。どうしても、どうして奪われないといけないのか、という怒りが先にきてしまいます。

そんな「奪われたもの」そのものである父親が、香子に向かって「将棋は何も奪わない」――。どの口が言うのでしょうか。

しかも「応援している」。まるで他人事のようにも感じられることばです。

親が子どもを応援するのは、考えようによっては、当たり前です。

それをわざわざ口に出す。口に出さないと伝わらない。

行動では伝わらない。そもそも伝わるような行動をしていない。

ここで香子が泣いたのは、映画的には感動してなのでしょう。

しかし「もう何を言ってもこのひと無駄だわ」というあきらめの涙にさえ見えてしまいます。

ここで香子に活路があったことを示すことが、香子にとって一体、何の救いになったというのでしょうか?

見つけられなかった活路なんて、ないのと同じなのに。

零くんの着物のセレクトに付き合う幸田父

ラストの方で、零は後藤さんに勝利します。そして、宗谷名人への挑戦権を獲得します。

挑戦手合のため、着物を仕立てる零。それに付き合う幸田父。

幸田父は、誇らしげに零を見て、笑顔を浮かべています。

本当に、零に対してだけいい父親です。

その誇らしげな父親の視線や笑顔が、香子や歩が手に入れたかったものではないのでしょうか。それを手に入れて、満足げに「将棋が好きになれました」といっている零なんて見たくなかったです。

終盤の零が、カッコウの子どものように見えてしまって仕方がありません。

なんのために、零は家を出たのでしょうか。幸田家を、これ以上壊さないためではなかったのでしょうか。

歩にチケットを渡す零

宗谷名人との対戦の観戦チケットを、歩に渡しに行く零。

かつて、歩と零は仲がよかった。歩は、宗谷名人と戦うのが夢だと語り、対戦の際には零も呼んでやる、と約束します。

その後、零に勝てなくなり、プロ棋士への夢が絶たれた歩はひきこもります。

一方、宗谷名人と対戦できることになった零は、歩の部屋をノックして、観戦チケットを手渡します。

やめたげてよぉ、と言いたくなりました。

夢を諦めた人間にとって、夢というのは傷口です。毒です。凶器です。

触るだけで痛いんですよ。

幸田姉弟は、原作では、母の目線をとおしてはっきりと「努力できなかった」「ゲームやケータイといった遊びに逃げた」という風に描かれています。

映画では、クリスマスプレゼントでゲームをもらいはしゃぐシーンがあったくらいで、零ほどではなかったにせよ、努力していたようにみえました。

なので、なおさら、零の行動が、言葉は悪いですが死体を蹴っているかのようにみえました。

むごいことをなさる……。

まとめ

以上、映画「3月のライオン 後編」を観たらもやっとしたので感想を語ってみました。

終盤の脚本以外は、素晴らしい出来だったと思います。

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